本文へ移動

AMIGO!について

AMIGO!について

ABOUT AMIGO!とは

アミーゴは「文化芸術活動を行うための場、あるいはそれらを鑑賞するための場」といった捉え方ではなく、「文化芸術活動を通じ、個人の創造性・自己表現力を育み、そうした活動が人々の心のつながりやコミュニティの形成を進める」といった社会機関だと考えます。すなわち、アミーゴはハードではなくソフト(システム)だということです。アミーゴの目指すものは、「住んで良かった、住み続けたい」と実感できる「私たちのまち」を創っていくことです。こうした理念に基づき、自主事業を前面に打ち出した新しい形の文化施設を創ります。

AMIGO!は「アミーゴ」と読みます。スペイン語で「ともだち」・「なかま」を意味する言葉です。入間市文化創造アトリエは、施設の愛称を「AMIGO!」と名付けました。
これは下記に挙げた「こんな活動をしたい」「こんな場にしたい」というような願いや思いを組み合わせた結果、この名前になりました。
「!」これは、ここから発信しよう!仲間を増やそう!とする思いからついています。いつまでも努力する視線を忘れずに、一生懸命やろうとする熱意を示します。
A(ART/Atelier)芸術、美術、工房
M(Music/Make)音楽、創造、制作
I(Industry/Identity)産業、独自性
G(Gallery/Game)観客、美術館、遊び
O(Oasis/Open)憩いの場、広々した

AMIGO!の歴史

歴史を語る建物たち

歴史を語る建物たち
明治33年(1900年)県内最初の本格的な化学染色工場「入間染工株式会社」が、地域の織物業者によりこの地に設立されました。大正5年、後の埼玉県繊維工業試験場となる仏子模範工場が、地域の繊維業者によって建てられました。
入間川を臨む窓からは心地よい川風が入り、仕事も軽やかに回りはじめたことでしょう。大正、昭和、平成と三つの時代を経て、試験場は地元に密着し技術、品物、人を育てました。しかし、平成10年、施設統合という形で長い歴史を閉じました。

残されたのは堅牢な骨組みの5棟の建物。
まだまだ活躍できると主張するぬくもりのある木造の建物は、文化創造の場に最適でした。

開館までの沿革

明治33年3月15日(1900年)
県内最初の本格的な科学染色工場「入間染工株式会社」が平岡甚蔵ら地域の織物業者により設立
大正5年(1916年)
武蔵織物同業組合により仏子模範工場建設
昭和12年4月(1937年)
組合により「埼玉県仏子染織指導所」を誘致、その後、繊維工場試験場、同入間支場と改称、改組される
昭和14年9月(1939年)
埼玉県に土地(3,356m2)、建物を寄付。建築は現入間市牛沢の関根勇次氏による(現有限会社関根建設)
昭和23年4月(1948年)
高松宮殿下ご来所
昭和31年11月1日(1956年)
埼玉県繊維工業試験場と改称
昭和39年11月20日(1964年)
皇太子殿下、同紀殿下(今上天皇・皇后両陛下)当試験場ご視察
昭和58年4月(1983年)
施設統合により埼玉県入間支場と改組
平成9年2月(1997年)
埼玉県から工業試験場の統廃合が正式に示される
平成10年3月(1998年)
埼玉県繊維工業試験場入間支場が閉鎖、県内7か所の各種工業試験場は3か所に集約し、工業技術センターとして再出発
試験場入間支場は、埼玉県北部研究所(熊谷市)に統合
施設利用の基本構想案(基本方針)がまとまる
平成10年4月1日(1998年)
埼玉県は試験場の土地建物を入間市に管理移管、施設を文化創造アトリエとして再生、活用する方向へ
平成10年11月(1998年)
平成11年9月~平成12年12月
(1999年~2000年)
建物改修工事、公園築造工事(敷地面積4,929m2/公園面積5,945m2/建築面積1,737.84m2
リニューアルしたホール、ギャラリー、染織工房のほか、新しく16角形の防音施設のスタジオが新築される
基本方針
施設整備基本計画
大正5年 仏子模範工場
大正5年 仏子模範工場
昭和12年 埼玉県仏子染織指導所
昭和47年頃の航空写真
昭和47年頃の航空写真、左中央ののこぎり屋根が現在のホール・ギャラリー、右側の工場は現在スーパーマーケットになっています
平成11年9月~平成12年12月 建物改修工事、公園築造工事後施設外観
TOPへ戻る